◆母の友達の店にて
昨年秋頃だったか、久しぶりに母の友達が経営する服屋に顔を出した。
いつものどおり、店の奥の部屋から「いらっしゃい」とおばさんが顔を出してくれた。
町で知らない人はいない、古くからある服屋で、婦人服以外にも子ども服や雑貨も販売している。
週末は手芸教室なども開いて、近所のおばさま方のたまり場になっている。
おばさんは「寒いわね」と言いながら私の方に近づいてきた。
「〇〇ちゃんさぁ、この店閉めるって言ったらどう思う?」
ニヤニヤしながら隣にきて話すおばさんに、
笑いながら「はあ?」と返したが、
長年の付き合いで真剣に考えているのがわかった。
「本気?」と聞くと、
「うーん。」と笑いながらはぐらかす。
この店はおばさんの祖母の代から続いている店で、
女手ひとつで子どもを育てながら守ってきた店だ。
「私もさ、もう65よ?ずーっと働いてきて、なんとかギリギリで守ってきたけど、
コロナが流行りだしてわかったの。必死で守ってきたものが一瞬でこうなっちゃうんだって。
そしたら、もういいかなって思ってね。」
去年から続いているコロナで、商店街の人通りも少なくなった。
週末の手芸教室も対策はできるものの、人の目を気にしてしばらくお休みということにしてしまったらしい。
ただただ流れる時間の中で、おばさんは「閉める」という選択肢を考え始めた。
◆守るために、新しい一歩を。
地元にはおばさんと同じように、歴史ある店を守り続けている人がいる。
ほとんどのお店が現代の情報社会とは無縁で、地域の人とのネットワークを大事にしている。
「美味しかったよ」「また来月もお願いね」「ありがとう」という言葉が飛び交う世界だ。
そういったお店が厳しい状況にあるとき、その答えは「閉める」の一択なのだろうか。
私は長年「人の人生に口出ししない」という考えで生きてきた。
すべては自分の意志で決めていくもので、外野がその人の人生を変えることはできない。
ただ、おばさんと話してから「こういう選択肢もあるよ」というのを言うべきか、言わないべきか悩んだ。
店を続けていくために多少営業形態を変えてみては?という案だ。
悩んだ挙句、話してみることにしたが、
最初は「うちみたいな店がやって意味あるのかしら」と否定的だったのに、
最後は「パソコン無いから、〇〇ちゃんがやってくれる?」と、興味を示した。
◆「おせっかい」から生まれる選択肢
こういった提案を「無責任」と捉える人が多いだろう。
私自身も、保証できないアイデアを軽々しく口に出すもんじゃないと思うのだが、
今までその人の頭になかった選択肢を、このおせっかいで知らせることができたら、
少しはありなのでは?と思うようになった。
例えばこんな光景。
「オンライン?!よくわからん、そんなもの必要ない!」と怒るおじさんと、
「こういうやり方もあるよって言っただけだよ!」となだめる若者。
門前払いされた若者だが、良かれと思って話したことで、
おじさんの頭の隅っこに新たな選択肢が生まれたかもしれない。