
アマゴを販売する事になったきっかけを教えてください。
幼少より魚オタクでした。大学で土木を専攻したことをきっかけに、山や川との関わりに触れるようになりました。そんな時にアマゴ養殖を知り、自然との関わり方として将来性のある産業だと思い始めました。食品商社に就職し、海外で営業していた頃、欧州のサーモン養殖企業の影響力の急拡大を実感し、もし自分が今後日本で魚作りに携わるならどんなやり方をしたいか、と考えるようになりました。魚肉として効率ベースで大量生産される魚作りではなく、1匹1匹に物語背景や自然な育て方ができる魚として日本の在来マスが良いと考え、アマゴ(サツキマス)は最適であると思い立ちました。
アマゴとはどんな食材ですか。
アマゴを含め、日本でマスと呼ばれるこれらの魚は、例えば18世紀のイギリス貴族がフライフィッシングの遊戯文化を生んだように、高貴な魚としての認知が世界的に行き渡っています。そのサケ・マスの中でアマゴは純粋な日本原産種として提示できるものです。飼育されたアマゴはサケ科の身でありながら、生涯清水の中で過ごすため、脂乗りが薄く、非常に淡白です。少ない調味でも馴染みやすいため、健康的なイメージに最適です。
アマゴを販売する上で大切にしている事はどんなことですか。
本来、アマゴは山の中で重要な役割を果たしていました。しかし開発や災害の影響でその営みは消えつつあります。育てることを通じて、周囲の森林や生き物たちとより深い関わりを持っていきたいと考えました。そんな中で得られた物事を楽しめる形で提供してゆくことが大事だと思っており、自然に対しての好奇心や健やかな日常の瞬間が届けられることを目標にしています。
苦労したことはどんな事ですか。
アマゴの生育に適した水が確保できる場所は山奥の田舎にありますが、水害や土砂災害の激しい所です。そのことに寄り添いながら恩恵を得てゆくには、知識だけではなく現場での経験が試されます。まだまだ経験の少ない自分にとっては今後も課題だと思っています。
これからはどんなことを期待していますか。
育てることを通じて自然と関わる以上、その川本来の種が健全に育つ環境を増やしていきたいと思っています。自然保護や公的な立場にて尽力されている方々に敬意を持ちつつ、自らは商売の設備投資として水源林と向き合っていきたいと考えています。また、Salmon・Troutは世界的に認知が可能であることから、広く国外からの利益も上げられるようにして、活動の幅を広げていければと考えています。

1993年生まれ
小学時代、父親の影響で釣りに没頭し、自然や生き物の虜となる。よく黒板に魚を描いていたため周囲から魚オタクと称される。
進学校に通うが教科書全般、特に英語と古典の成績で落ちこぼれ、名古屋で一年間の大学受験浪人を経験する。
大学では土木分野を専攻。
その合間で将来に向けて自給自足の田舎暮らしを考えるが周囲から大反対を受け、一旦就職して視野を広げることにする。
食品商社に入社し、自らの仕事の出来なさを思い知る。徐々に調子を上げ、2年目から貿易部に起用され海外勤務する。バンコクでは勤務地のミシュランガイドを片手に日本産の鮮魚で独自に販路開拓を勧め調子の波に乗るも、外資系ホテルの営業に苦戦。
価格競争の激しさ等で壁に当たる。
4年目からはフィリピンに駐在するが、ほどなくして新型コロナウイルスの流行により取引先が全て閉鎖。
コロナ禍を逆手に取り、前から思案していたアマゴ(サツキマス)の企画販売を始めようと決意し帰国。大阪の特殊機器メーカーの助けも受け、商品開発に取り組む。しかし、アマゴ(サツキマス)を育てながら流域の自然とh格かかわりを思い改め、現師匠の下に弟子入りし、生産ノウハウと森林管理を学ぶ。
森林生態系と作物の生育に触れ、少年時代の好奇心が再燃。
利益を森林環境に投資し、生態系と共に発展することを目指す。